「鏡の場所」

西田哲学では、あなたは世界と絶対的一者との結合点です。
「絶対無の場所」であり「矛盾的自己同一」の場所です。
西田先生は、禅の徹底的実践と徹底哲学を通じて、実在の最深部をそう結論されたのだと、私は理解しています。
自我から脱出した自己は、世界の一観点としての実在であると。
それは世界が自己自身の内に自己を映す一つの仕方であると。
つまり、西田先生は直観即反省の「鏡の場所(絶対無の場所」に、真実在を見出されたのだと理解しています。
しかも誤解してはならないのは、宗教哲学ではないとする西田先生の捉え方では、運動に重点を置いた「配景の一中心点」なのです。

人生において、自我は様々な揺さぶりをかけてくるでしょう。
しかし、自我(私)から見ている限り、自分の関心事(点)しか見えません。
視座を、私を包む「鏡の場所」に「移動」した瞬間に、自我から脱出して全体が見え始めます。
それが、鏡による絶対無の実践と私は理解しています。

その実践の繰り返しと継続で、思考や日常を超越した現象あるいは反応が現実的に生まれるかもしれません。
量質転化が起きるかもしれません。
やり続けなければ分かりません。
「全てがそこからそこへ」についての実践の話をしているのですから。
最近は難しい言葉を多用していますが、これは陥り易い言語的理解などという小手先の話をしているのではありません。
最も困難な「鏡の場所」に留まる実践をこそ勧めているのです。

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