自己洞察の実践

「この新しいメディア時代には、誤った情報を絶えず量産するメカニズムやネットワークが存在している。」
オバマ氏が、アメリカ大統領時代に述べた言葉だそうです。
現代は、どの情報を信じて良いのか分かりにくくなっています。
各国の大統領でさえ、フェイク・ニュースと思しき内容を、堂々と流す時代です。

昨今の状況を観ていると、マインドフルネスは、今後ますます重要な実践項目になって来るように感じます。
身受心法に対する「気づき」がなければ、私たちは、「自分の考えに合う、自分に都合の良い情報だけを選択して取り入れる。」傾向があることが、認知神経科学によって分かっています。
一方、静慮の下での自己洞察によって身に着いた直観的なものは、信じるに値するものであるし自分を裏切らないように思えます。


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刹那世界

生も刹那であり死も刹那です

絶対矛盾的な不可避の刹那です


何が先回りしているのか想像もつきません

無常の中に存在させる何かが働いています


野の花も刹那であり芍薬とて刹那です

刹那は汚泥を測らず秀麗を測りません


「今・ここ」の矛盾的な変化は意識ではつかめません

変化への回顧的マインドフルネスがあるだけです



第6回マインドフルネス集中トレーニングについて

概要
1 目的: 一元観に基づくマインドフルネスSIMT(自己洞察瞑想法)の基礎を身に着けていただく。加えて、ポージェスのポリヴェーガル理論の基礎を理解していただく。 
2 日時: 令元年10月12日(土) 16時~20時
3 場所: 八女市民会館「おりなす八女」研修棟3階和室
4 講師: 田中仁章(臨床心理士、マインドフルネス瞑想療法士)
5 参加費: 三百円(説明等については、力を尽くします。)
6 参加手続き: 次のメールアドレスあるいは電話番号に申し込んでください。
(1)メールアドレス: saidann-tenn@kyp.biglobe.ne.jp
(2)電話番号: 090-1088-2444
7 その他: 申し込み受付は8名で締め切らせていただきます。なお、参加者は、瞑想時に用いる「おにぎり1個」を買ってご参加ください

細部時程9月2日に内容を一部変更しました。
1600~1605: 導入
1605~1640: まず、ポリヴェーガル理論の基礎についてパワーポイントを使用して説明します。次に、身体への具体的なかかわり方について説明します。ポリヴェーガル理論の優れているところは、具体的な身体への働きかけ方が分かっていることであり、その具体的な身体への働きかけによって、問題症状が変化して行くことにあります。その基本を覚えれば、今後極めて有意義なトラウマ対処法や社会交流性を身に着けることができるに違いありません。
1640~1655: スワイショウを行いながら、ポリヴェーガル理論の応用動作を説明します。すなわち、スワイショウには、ポリヴェーガル理論を応用した動きが含まれているということです。
1655~1700: 休憩

1700~1730: 坐瞑想(呼吸のみに徹底集中する瞑想を行っていただきます。)
1730~1735: 歩く瞑想(一足半歩)
1735~1755: おにぎり瞑想(おにぎり1個を、時間をかけて深く味わいながら食べていただきます。)
1755~1800: 休憩

1800~1810: スワイショウ(ひねりのスワイショウ。「今・ここ」への集中力を養うための応用的実施要領について説明します。)
1810~1845: 坐瞑想(「意識の野」ならびに「心の作用」を洞察し、自覚に至る瞑想を行っていただきます。)
1845~1855: スワイショウ
1855~1900: 休憩

1900~1945: 坐瞑想(「鏡の自己」、「器の自己」、「包む自己」を、自己観照的な実践を通して、自覚いただきます。痛み等が出て耐えられなくなった場合は、横になられて結構です。ただし、出来る範囲で耐えてください。)
1945~2000: 質問等受け

※ ご一緒に「修行」してまいりましょう。(「修行」という言葉については、過去に誰かが、望ましくない状況で使った言葉としてなるべく使わないようにしておりましたが、忌避するのは愚かだと気づきました。今後堂々と使用してまいりたいと思います。)

  
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第5回マインドフルネス集中トレーニングご案内

第5回マインドフルネス集中トレーニング

計画の概要
1 目的:一元観に基づくマインドフルネス(大田健次郎によって創始された自己洞察瞑想法「SIMT」)の基礎を身につけていただく。加えて、自律神経に関する、ポージェスの「ポリヴェーガル理論」の概要をご理解いただく(可能な限り、各動作・姿勢と関連付けて基本的なことを説明してまいります。)。元来「マインドフルネス」とは、「身受心法」の全てにわたる気づきを求めています。当然のことながら、SIMT(自己洞察瞑想法)においても、「今・ここ」で生起している全てを「鏡に映す」ことが求められています。SIMTも、「全てを包む自己」を強調するのです。この点は、「欧米のマインドフルネス」とは、実はやや異なっています。認知以前の多重迷走神経系の働きに関する「ポリヴェーガル理論」への注目は、認知のみへの、あるいは、身体のみへの、欧米的(二元的)な捉え方を超えることを求めるようになっていくことでしょう。
2 時期:7月27日(土)16時から20時の間 
3 場所:八女市民会館「おりなす八女」  前段は研修棟3階和室(16時~18時)、後段は研修棟2階第5研修室(18時~20時)   
4 講師:田中仁章(マインドフルネス瞑想療法士・臨床心理士)
5 参加資格:どなたでも参加できます。
6 参加費:3百円
7 備考:研修棟2階の第5研修室は、パイプ椅子の部屋になります。

細部実施内容
1 開始前の挨拶および導入(16:00~16:05)
2 前段(16:05~17:55) 
(1) 「ひねりのスワイショウ」(16:05~16:20) 
(2) 「腹式呼吸法での坐瞑想」(16:20~16:45) 
(3) 一息半歩で「歩く瞑想」(16:45~16:50)
(4) 休 憩(16:50~17:00)
(5) 「おにぎり瞑想」(17:00~17:15) コンビニ等で好みの「おにぎり」を一つ買っておいてください。15分間で「おにぎり」1個を、しっかりと味わって(「今・ここ」に存在して)食べていただきます。
(6) 白隠禅師の「軟酥の法的前後のスワイショウ」(17:15~17:30) 屈伸を入れて、軟酥が溶け落ちて来やすい状態を作為しながら(膝の屈伸に不安がある方は、腕振りだけで結構です)、「前後のスワイショウ」を行います。
(7) 坐瞑想「数息観から随息観へ」(17:30~18:00) 初めは「数息観」を行い、次に「随息観」へと移行します。

※ 2階第5研修室へ移動&休憩(18:00~18:10)

3 後段(18:10~19:45) パイプ椅子での瞑想になります。
(1) 坐瞑想「対象と心の作用の洞察(SIMT)」(1810~18:40)  
(2) 一息半歩で歩く瞑想(18:40~18:50)
(3) 休憩(18:50~18:55)
(4) 坐瞑想「鏡の自己・器の自己・包む自己の洞察(SIMT)」(18:55~19:35)
(5) 一息半歩で歩く瞑想(19:35~19:45) こちらから定刻をお知らせしたら、そのまま「今・ここ」に意識を置いて自覚の中でお帰りください。

※ 「補足事項」等ついては、以前の「マインドフルネス集中トレーニング」の内容と同じです。
※ 状況によっては、開始後の内容並びに時間を、一部変更する可能性があります。


スワイショウの可能性

埼玉での発表大会に参加してまいりました。
「マインドフルネス・スワイショウ」を約50分間で紹介しました。
発表時間のずれ込みで急いだところもありましたが、参加者の方々に僅かでもその良さを伝えることが出来て、主催者の大田先生には心から感謝しています。

私たちは、心の問題は心からしかアプローチできないと思い込んでいるふしがあります。
しかし、今回の発表大会冒頭に大田先生から紹介されたポージェスの「ポリヴェーガル理論」は、副交感神経系である腹側と背側の二つの迷走神経系の作用を、働きかけが可能な無自覚的な自律神経系の一部として捉え、臨床等に生かすことができるとするものでもあります。
心の臨床における「動作法」等の効果が既にその可能性を強く示唆していましたが、心が宿っている身体へのアプローチが、今後益々重要視されることになってくることでしょう。自分の身体の声(五木寛之氏はこれを「身体語」と呼びます。)は自分でしか聞けないのです。宗教的になりますが、釈尊が説いた「天上天下唯我独尊」の意義はここらへんにありそうです。

ところで、「スワイショウ」には、もともと第5頸椎周辺を刺激して、副交感神経系を優位にさせるという捉え方がありました。「ポリヴェーガル理論」との関係性からも、その意義をいずれ見出せそうです。
加えて、「スワイショウ」には、全てとも言える呼吸筋を動かしながらも、心拍数をほとんど上げないという特徴があります。「スワイショウ」を、少なくとも5分以上続けていると、呼吸筋が緩んできて、呼吸を意識しなくても「自然で楽~な呼吸」が、いつの間にか出来ていることに気づけます。「調身」を経ての「調息」です。この様な感覚は、私が長年続けてきているからかもしれませんが、練功当初から存在していたようにも思えます。
逆の捉え方をすると、「スワイショウ」によって肩甲骨周りを動かさないでいるということは、肩甲骨(呼吸)にかかわる筋肉の血流が停滞(東洋医学における「おけつ」)して、心身ともに柔軟性を無くして行き易い状態にあるとも言えるでしょう。そして、調子をひどく崩すと、浅く速い呼吸を肩でするようになってしまうのです。

二千年近く前の中国湖南省の墳墓から発見された健康体操を示す「導引図」には、「スワイショウ」と極めてよく似た動作が描かれているそうです。
私たちは、生産性を重んじる文化的背景からか、「安・近・短」を求めるようになっていますが、自然はもっと時間をかけて丁寧に創り上げていくことも求めているように思えます。マインドフルネスが近年強調されるのには、その様な時代的特徴が影響しているのかもしれません。
健康体操であるラジオ体操などは、3分強で終えることができます。しかし、私たちは、ラジオ体操を再度行おうという気にはなれません。
一方、「スワイショウ」は、心拍数をほとんど上げることなく、血流の停滞を改善しながら、30分から40分ぐらいは続けることが可能です。これは、よくよく観て行けば、凄いことです。血流が良くなり、インナーマッスルもほどほどに鍛えることが出来、心拍数は殆ど変化しないのです。


ゆったりと、長時間にわたり身体を向上改善させて行くこの「スワイショウ」には、まだまだ言語化できない多くの効能が内在しているように思えます。

世界から自己を捉える

NHK教育放送において「鈴木大拙先生と私」というテーマで放送された内容の中に、英語には「自ずから」という言葉がないと岡村美穂子氏は説かれていました。大拙先生は、それを「from itself」あるいは「of itself」という言葉で紹介されていたそうです。
ここに、西洋と東洋の大きな違いがあるように見えます。西洋における自由とは、「Freedom from Anxiety」と用いられるように、「何かからの」自由なのです。一方、東洋における自由とは、老荘思想における道(タオ)とも言えるものであり、万物をそれぞれに成り立たせている、「自ずからの」作用を大切にしたものと言えるようです。

私たちは、自分の意識によって自己中心的にこの世界を分断して理解し、自分をも同様にして捉えようとします。ところが、岡村氏が説かれていたように、実際の世界は一つの全体としてダイナミックに動いているものです。それにもかかわらず、「私」をたてて、暗い部屋にある拳大の臓器が生む関心を中心にして周りを捉えると、それは私と世界といった相対的・二元的な捉え方になってしまいます。
周りの世界は一つの全体として自ずから成り立っているのであり、一人一人がそれぞれの関心から個々に理解しようとしても、一つの全体世界の自ずからなるダイナミックな動きは、決して捉えられないものなのではないのでしょうか。

個々人の目で、こちらから世界を捉えようとしても、そこには自我がはたらき、個人的な関心の対象としてしか捉えられません。まさに道元禅師が説かれていたように、「自己を運びて万法を証するを迷とす」ということになります。
したがって、自分の意識を中心として観て行くのではなく、「私」をたてて自己中心的にこの世界を捉えるのではなく、世界を中心にして自ずからなる姿を観て行くことが大事なのだろうと思います。
暗くて狭い部屋の中から世界を観るのではなく、具体的な表現をすれば、広い視野と高い視座から、世界の中に自分をも入れ込み包み込んで、自ずからなる姿を観て行くことが大切なのではないのでしょうか。



「坐」とは

昨年末に、調和に関する視点から「坐る」ことの意義を捉えました。
今日は、漢字「坐」の意義について確認してみたいと思います。

「坐」という文字には、人が二人存在します。
集団力学的には、二人以上であれば集団と捉えます。
したがって、漢字に二人が存在しているということは、集団を表していると言えます。
「坐る」ことには、私たちが集団的存在であることを確認するという意義が認められそうです。
かつて、鈴木大拙先生は世界を救うには「坐」を重んじる「禅」しかない、とされていたことを思い出します。

加えて、「坐」という文字における「人」には、二つの意義を持たせることができそうです。
最近はやりのマインドフルネスから捉えれば、一つはワンダリング・マインド(さ迷える「人(心)」)です。
もう一つは、SIMT的の観点から捉えると、「鏡の自己」、「器の自己」であり「包む自己」です。
つまり、「坐」という文字は、ワンダリング・マインドが容易には消えないことを表しているようにも思えます。