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プロフィール

ブログ名
マインドフルネス・アシスタンス  八女
ブログ紹介
私たちの多くは、分別心に基づいて、この世界をあたかも理解しているかのように振る舞っています。しかし、私たちが生きているこの世界の特徴は、「複雑性」「多様性」「不確定性」を包み込んだ統合、つまり「カオス的つながり」の中にあって、意識で分別できるものではなく、世界の実相は捉え難いのだと私は理解しています。
この様な世界では、私たちの誰もが、私たち個々の認識を超えて存在価値を有していなければならない、と私は捉えています。 
  
※「平成28年熊本地震」並びに「平成29年九州北部豪雨災害」により被害にあわれた方々に対する、ボランティアによるマインドフルネスのご紹介は終了いたしました。
まだまだ復興途上にありますが、皆様の「今・ここ」が、マインドフルであることを祈っております。



※「器鏡の会] (共に実践しましょう)
時期: 2017年2月19日(日)開始 第28回終了 12月10(日)はお休みです。なお、12月17日(日)が今年最後の会となりますが、部屋は3階の茶室2となります。
日時: 毎週日曜日19時〜20時の間 
場所: 『おりなす八女』茶室1
進め方
@ 田中が18時55分までに部屋の鍵を開ける。
A 畳の部屋に入る前に一礼
B 入室後、開始の鈴が鳴るまでは、会話等自由とする。
C 19時に開始の鈴(2回)。
D 19時15分までは、何回か短い言葉を発することがある。
E 19時15分に鈴を鳴らす(1回)。その後、言葉は発しない。
F 19時40分に終了の鈴(2回)。
G 終了の鈴がなったら、その場で静かに体をほぐす(約2分間)。
H 1回鈴を鳴らしたら、部屋の中央に向かい相互に黙礼。
I 畳の部屋を出る前に一礼。沈黙の中で退室する。
J 入退室は何時でも良い。ただし静かに行動する。
K 最後に田中が退室し、施錠後、管理人に返納する。
質問等: 開始前あるいはメールにて行う。
参加者: 参加希望者は、メールまたは電話にて、事前にお知らせください。基本的に誰でも参加可能です。
参加費: 参加の都度、百円(部屋代、エアコン代として使用)
ご用意いただく物: 小さめの座布団
※「器鏡の会」に参加して部屋を出られた後は、そのままお帰り下さい。禅定力を保持したまま、移動されることをお勧めいたします。

※ 2017年マインドフルネス・エクササイズ
@時期:3月から毎月第4土曜日。いずれも18時から20時の間。 最終回は、12月16日(土)、17時から20時の間、3階和室 にて行います。
A場所: 八女市民会館「おりなす八女」 研修棟3階和室。
B参加費: 3万円(2月25日(土)の説明会後、自分に合っていると判断されたらお振込みいただきます)(2年以上の参加者:5千円)。
C進め方: 2月の説明会後、3月(第1セッション)から12月(第10セッション)までの間、毎月1回、計10回のセッション。
D内容: 前半50分(課題説明)、10分の休憩、後半1時間(気功、呼吸法)。
Eご用意いただくもの: 小さめの座布団 (第4研修室で行う場合は、パイプ椅子となりますので不要です。)
F使用テキスト: 参加者は、『うつ・不安障害を治すマインドフルネス』(大田健次郎著)を各自で購入願います。
Gお断り: 2年以上の参加者に対しては、記録表に対するコメントは行えません。
※実施時期等の細部については決定ではありませんが、来年も、ほぼ同じ要領で行う予定です。参加希望者は、メールまたは電話(このページの上端「プロフ」をクリックすれば表示)にて、お知らせください。

※マインドフル練功十八法
@ 八女市本町の市民会館「おりなす八女」(交流棟創作練習室A)において毎週水曜日14時から15時の間。
A 同所において毎週木曜日 18時〜19時の間
B 参加費は次の通り(参加費/月間参加回数)です。(500円/2回以下、1000円/3回、1500円/4回以上)。ご家族で参加される場合は、お二人での参加費とします。
マインドフル練功十八法とは、誰にもできる保健体操としての練功十八法を行いながら、マインドフルネスを身につけられるように言葉かけを工夫したものです。また、腹式呼吸法も練修致します。しなやかな心と体をつくりあげて行きませんか。随時受け付けています。
〈お勧めしたい方〉
・心身の調子がすぐれない方(通院中のお方は、担当医師に確認後、ご参加願います)
・健康の維持増進を図りたい方

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身体の不調 絶対矛盾的自己同一

2017/12/11 10:44
9日から記事掲載を再開するとお伝えしておきながら、今日の掲載となったことをお詫びします。
片づけておかねばならない事柄が急に生じたり、昼食を挟んで6時間半のフォーラムに参加するために、1日で京都を往復する必要が出て来て遅くなってしまいました。

今回の掲載記事に移りますが、私たちは、身体の何処かの不調を感じると、そこに原因があると考えます。
しかし、私が今までマインドフルネスを実践して来た経験から観ると、それは恐らく正鵠を射ていません。
私たちが生きている世界は、全てがつながりつつ変化していると言えるように思えます。

しかも、それは福岡伸一氏が説かれている様に「動的平衡」状態の中で変化しているのです。西田哲学で言えば、「絶対矛盾的自己同一」的に変化しているのです。
「動的平衡」も「絶対矛盾的自己同一」も、私たちには、事象の原因としては正確には把握できないものだと言えます。福岡伸一氏によれば、<先回り>がなければ私たちの動的平衡は保てません。

例えば、私たちの生きた身体を支えている生きた骨について触れると、破骨細胞が働いて古くなった骨を壊して行くと同時に、骨芽細胞が働いて新しいものと取り替えられなければ、動的な中で平衡状態は維持され得ないのです。「今」この瞬間瞬間で生起していることは、その様なことなのです。
正しく、その力は、意識上は捉え難い、絶対的な何かなのだと言えるのです。

だから、西田先生は、「絶対矛盾的自己同一」と説かれていると考えられるのです。
このことを考えた時、身体の不調については、ある種の根源的力への「諦め」が求められることを意味しています。この「諦め」は、「明らかに極める」という意味で用いています。
つまり、私たちの意識の延長線上にある治療によって、治るものもあれば治せないものもあり得ると認めより他にない、ということではないのでしょうか。

これは、あらゆる不調は治せないということをお伝えしたくて記事にしたものではありません。「絶対に治す」という治療への意志や希望のみではなく、どこかに「しょうがない」という諦観も必要だという事をお伝えしたかったものです。「可能な事」と「不可能な事」へのマインドフルネスが必要なのではないでしょうか。
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一元的世界観

2017/10/17 14:16
「天地の分れし時ゆ よどみなくゆれる海原 見れど飽かぬかも」(寸心)

上記の詩は、西田幾多郎によるものです。
眼前に広がる海原を見て、混沌から天地創造へと至る、悠久の偉大なる作用に思いを馳せていたのでしょうか。
よどみなくゆれる海原に、何を見ていたのでしょうか。

私たちの多くは、自己と非自己を明確に区別する、二元的な世界観の中で生きています。そこに一元的な世界が存在するなどと、思いもよらないのです。
しかし、二元的な世界は、自我(エゴ)が絡んだバーチャルな錯覚の世界であり、それでは世界の実相を捉え切れていません。その様な世界の実相とは異なる世界観にしがみつけば、苦しみを自他に負わせ続けることになりかねません。

自己と非自己の二元的世界から抜け出し、安心と平和を得るためには、どうしても自我を超える必要があるのです。
ちっぽけな自我を包み込み無力化してしまうような、絶対的な何かを自己の中に落とし込むことが、どうしても必要になって来るのです。「そんな迂遠なことは私には無理!」と捉えずに、行住坐臥において「信じて実践して行く」ことが大切なのです。
その過程が、SIMTでは「対象」と「心の作用」の洞察であり、結果が西田哲学が説く一元的な「絶対無の場所」なのだと、私は捉えています。

「生きながら死人となりてなりはてて 思いのままになすわざぞよき」(至道無難禅師)
私たちの多くは、バーチャル世界に生きていたことに気づかずに亡くなり、私たちの一部は、死の直前になって初めて、自分でつくりだしていた苦に気づくのかもしれません。
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熊本における最後のマインドフルネス

2017/10/07 08:32
11月18日(土)が最後の説明会になります。時間は13時30分から16時30分までとなります。
内容は、まとめとして次の事項を予定しております。是非ご参加ください。
@ そもそもマインドフルネスとは何か: マインドフルネスと一口に言っても、療法として、あるいはストレス低減法として、さらにはいわゆる見性を目指して等、用い方は様々なものがあります。その点について、簡潔に説明します。
A 日本のマインドフルネス(SIMT)と欧米のマインドフルネス(MBSR)の相違点: MBSRは基本的にストレス低減法として用いられたものです。一方、SIMTは、禅の西田哲学を応用したものです。その点について、短時間ではありますが、一緒に実践しながら相違を分かり易く説明します。
B 日本の禅が目指しているものについて: 十数年間にわたり鈴木大拙の秘書を務めていた岡本美穂子さんが説く禅の究極(NHK教育放送)についてより具体的に要約して説明。
C 鏡の自己、器の自己について: 日本のマインドフルネスSIMT(自己洞察瞑想療法)は「鏡の自己」あるいは「器の自己」といった比喩を用います。その用い方を、呼吸法の中で、あるいは日常生活の中で、どの様に用いるかについて説明して行きます。
E 質問を受ける時間を、1時間ほど設けます。質問が無くなった時点で終了とさせていただきます。質問を受ける時間は、16時30分迄とさせていただきます。

 
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「まどみちお」の詩とマインドフルネス

2017/09/27 17:51
人生の大先輩である詩人まどみちお氏の「ぼくがここに」という詩を紹介しておきます。
優しく素直に真実が表現されています。
固い表現を用いれば、この詩は洞徹から生まれたものと考えます。

ぼくがここにいるとき
ほかのどんなものも
ぼくにかさなって
ここにいることはできない
もしゾウがここにいるならば
そのゾウだけ
マメがいるならば
その一つぶのマメだけしか
ここにいることはできない
ああこのちきゅうのうえでは
こんなにだいじに
まもられているのだ
どんなものがどんなところに
いるときにも
その「いること」こそが
なににもまして
すばらしいこととして

この詩には、万物が真実主体に本来優しく措定されていることへのマインドフルネスがあります。
全てに無心で接することが出来なければ、気づけない内容が含まれていると思います。
私たち全ては、「宇宙のかけら」としてその場所が与えられているのです。
西田幾多郎が、「物となって見、物となって考える」ことを大切にした意味は、ここにあると言えるのではないでしょうか。

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腹式呼吸について再掲

2017/09/17 10:11
4年ほど前に、ある俳優が始めマスコミが取り上げ始めた「ロングブレス〜」というものの問題点を、このブログで指摘しました。
その後も、しばらくは人気があったようですが、現在ではその名前もほとんど聞かなくなってしまいました。
以前投稿したように、吐く時に「全身に」力を入れるということは、やはり大きな問題があると今でも強く感じています。
呼吸は、本来自然で心地よいものであるべきだというのが私の考えです。

このロングブレスの最中に全身に力を籠めるということは、そもそもの呼吸の持つ意義を無くしてしまう危険性があります。呼吸は筋肉で胸腔を広くしたり狭くしたりして行われているのですが、全身の筋肉に力を籠めれば、胸腔の柔軟性を失くしてしまいます。実は、腹式呼吸法でも失敗しがちなのがこの点です。

ジョン・カバット・ジンも記しているように、腹式呼吸法とは本来リラックス系の呼吸法なのです。例えば、心身が緊張している時にリラックスするためには、吐く息を重視して深い呼吸を行うのが一般的でしょうが、吐く時に全身に力を入れる習慣が身についてしまっていると、呼吸時に胸筋や肩などに自動的に力が入り、肋骨が自由性を失い、肺は収縮の柔軟性を失くして、炭酸ガスを十分に出しきることはできなくなるでしょう。

つまり、呼吸筋である肋間筋や大胸筋、肩甲骨の間にある菱形筋、背中を広く覆う僧帽筋などに力が入り、肺の柔軟でのびやかな動きを強く制限してしまいかねません。その影響を受けて、炭酸ガスをしっかりと吐き出せないということは、新たに新鮮な酸素を十分に取り入れられないことを意味しています。のびやかで気持ちの良い呼吸が出来ないどころか、炭酸ガスの排出と酸素の取入れを大きく制限することになるのです。

先述のリラックス系の呼吸法という記述は大変重要な観点で、呼吸は息であり、字が表している通り「自」然な「心」でなされることが大切だと思います。私たちは自分自分と言いますが、それも「自」然の一部「分」であることを意味していると考えられ、基本的に自然な呼吸を求められていると言えるようです。

息を吐く時に、無意識的に「息を吐かねばならない」への囚われが起こり、吐く動作が強い強制力の下でなされるのは望ましくないのです。だから、意志的に息を吐くにしても、吐く動作にはマインドフルであることが望ましいのです。意志的に呼吸に働きかけるというと、その呼吸は適切な(適度にコントロールされた)呼吸から、過剰な(過度にコントロールされた)呼吸になり易いのです。これでは、怒責や高血圧状態を生起させ、却って危険な状態を招きかねませんし、胃の周辺にも力が入ってしまいかねません。

ただ、自ら働きかけることができるのも呼吸であり、今まで述べてきたことは、これを否定するものでは全くありません。気功では「上虚下実」と言われますが、私たちの身体を何も言わず支えてくれている丹田や腰や足を充実させていくことは大切だと感じています。上体に関してはこの言葉の通り、肩の力を抜き胃の周辺に力を入れないようにマインドフルにリラックスしておくことが大切だと考えます。呼吸に働きかける時は、この上虚下実をしっかりと守りながら行うことが大切だと感じています。胃の周辺の筋肉、胸、肩などに力を入れないようにしながら、腹筋は柔軟性を保ちながら、のびやかに練習することが必要だと感じています。
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9月23日熊本市内でマインドフルネス紹介

2017/09/07 23:21
第2回目の紹介を9月23日(土)の13時30分から16時の間行います。
場所は、熊本県総合福祉センター第3会議室になります。マインドフルネスは本来仏教瞑想から生まれたものです。その究極には、宗教的な到達点があることに気づくべきではないでしょうか。その点について、実践の中で少しでも安らぎを得られるよう、第2回目は説明してまいります。

宗教的ということは、宗教として信じましょうということではありません。SIMT(自己洞察瞑想療法あるいは自己洞察瞑想法)は、宗教ではありません。大田健次郎氏が、哲学者西田幾多郎の哲学内容を応用して創始したものです。
今回お伝えしたいことは、鈴木大拙氏が説くような時空を超えた絶対的な何かの存在に気づきましょうということです。その絶対的な存在への気づきと確信は、あなたの日常的な相対的判断を変えることになるかもしれません。
私たちの苦しみは、この世界を相対的な評価基準に基づいて、エゴを交えて判断してしまうことに起因しています。それを改善するには、心の作用を意識する実践が必要です。当日は、エゴとエゴに囚われない世界観並びにSIMTの世界観との関係について、出来るだけ皆さん個々人の実践に役立てるよう説明してまいります。

ボランティアで熊本の皆さんにお目にかかれるのは、11月が最後となります。どうか、新たな参加者は勿論、昨年ご参加いただいた方でも、未だ実践内容に疑問をお持ちの方は是非ともご参加ください。
真に有用な情報は、自ら求める所に流れて行くように見えます。
お待ちしています。
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“これまで”と“これから”を満たすもの

2017/08/28 12:44
理論物理学者の佐治晴夫先生の言葉に次のものがありました。
「“これまで”が“これから”を決めるのではなく、“これから”が“これまで”を決める。」
これからの在り方に、勇気を与えてくれる言葉だと感じました。

この言葉を受けて、SIMT実践者は次の言葉を銘記しておきましょう。
「“今ここ”が、“これまで”と“これから”を決める。」
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