自分を見失わない

 釈尊曰く「己こそ己のよるべ 己をおきて誰によるべぞ よくととのえし己こそ まこと得難きよるべなりけり」。
私たちは、己から観るから、己の心身が己に係わる出来事のほとんどを決めている、という事実を忘れがちです。前々回紹介したシンドラーは、「腹痛、頭痛、皮膚炎、筋肉痛などが、心が原因で起こります。」と言っています。
 ベックという認知心理学者は、「うつ的」な人には共通的に「推論の誤り」があるといっています。人には認知構造があって、何かを経験すると、その認知構造に基づいて自動的に何かを認知、つまり「自動思考」するとベックはいいます。その自動思考の内容に影響を与えているのが、うつ状態に陥る人に共通的な「推論の誤り」だとしました。「推論の誤り」とは何か? 『エビデンス臨床心理学』には、次のようなものがあげられています。

① 恣意的推論: 明確な証拠がないにもかかわらず、悲観的な結論と容易に結びつけること。
② 選択的注目: 誰が見ても明白な内容には目もくれず、自分だけが信じている些細で悲観的な事柄だけを重視すること。
③ 過度の一般化: ちょっとした経験の結果を、多くの事柄の結論と結びつけてしまうこと。
④ 拡大解釈と過小評価: 自分の欠点については拡大して捉え、長所については過小に捉えてしまうこと。
⑤ 個人化: 自分に関係のない出来事を、あたかも自分に関係があることのように捉えること。
⑥ 完全主義的・二分法的思考: 物事に対して白か黒かというレッテルをはらないと気がすまないこと。

 私がマインドフルネス瞑想(自己洞察瞑想法)を紹介しているのは、これらのことにも関係しています。瞑想実践の一つの目的は、調子を崩したときに陥り易い推論の誤りを含んだ思考内容に早く気づき、価値実現のための正しい行動を、「今・ここ」で選択していく力を身につけることにあります。たとえ短時間でも姿勢を正し、呼吸に集中し、心を安定へと導く中で自己洞察することを通して、推論の誤りなどを含んだ望ましくない思考内容に、早く気づくことができます。加えて、その思考内容に囚われずに、「今・ここ」で大切なことに集中して行けるようになります。

 私たちは、億人億様の心と身体を有しています。「推論の誤り」などについても一人一人が異なった特徴を持っています。それらの無数の特徴ある心と身体が、相互に影響しあいながら世界を創造して行きます。それは、痛みを感じない一つの脳によってではなく、痛みを感じる心と身体が紡ぎだすものです。だから、それらが紡ぎだすものは、喜びや幸福につながるものであることが望ましいのです。上記で列挙したような特徴から物事を捉えることは、決して望ましいことではありません。
ある認知的な特徴を自分が持っているという認識は、大変重要なことです。そして、自分がその特徴の下で物事を捉えているという「今・ここ」での自覚も、極めて重要なことです。

 新型コロナウィルス感染症が世界に拡大していますが、アメリカのニューヨーク市内にある病院で、救急部門の責任者として働いていた医師の方が、先月26日にみずから命を絶たれました。おそらく、パンデミックの中で、我を忘れて必死に救助活動に専念されていたことでしょう。でも、我を忘れる(自分を見失う)ということは、瞑想実践者から観ると、決して望ましいことではありません。
死者に鞭打つような言葉を綴るべきではないかもしれません。しかし、このような医師の方こそ生き続けて欲しかったし、今後も人々の命を出来る範囲で救ってほしかったと思うのです。この方は、コロナウィルス感染症治療の中で自身も感染しながらも、10日後には現場に復帰されていたということです。ここは誤解のないようにお願いしたいのですが、「こととなって見、こととなって考える」と、必死の救助活動であったからこそ、あるいは、自身の危険性よりも治療を優先されたからこそ、感染されたという側面があったはずです。さらには、責任感が強かったからこそ、早期に現場復帰されていたに違いありません。

 我を忘れて、必死で治療に当たってこられたであろう姿を想像すると、心が鋭く深く痛みます。限界状況の中で、治療に専念されていた方が、自ら命を絶たれたことに悲しみを覚えます。私は、限界状況に近づけば近づくほど、自己から出て「自己距離化」することを忘れてはならないのだと信じています。物事を自分の脳(暗い部屋の中)から判断的に観るのではなく、「今・ここ」で自分も視野に入れた自覚の中で、「本当の私はここにいる」と言える場所に、俯瞰的にマインドフルに佇むことが、極めて重要なのだと信じています。

 世界の人々はつながっています。
昨今の私たちの無事は、昼夜を分かたぬ医療従事者のご尽力のお陰と言えます。
世界の実相に基づかない、軽佻浮薄で身勝手な判断による「差別」は、絶対に無くさなければなりません。

限界状況の中で、日夜、新型コロナウィルス感染症の治療に当たっておられる皆様に、感謝申し上げます。
限界状況の中で、日夜、新型コロナウィルス感染症の治療に当たっておられる皆様の、ご健康をお祈り申し上げます。

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